DoDreamレッスン日誌:T.J.blog
「広瀬香美との出会い・その6」(T.J.)
2009年 11月 16日
アメリカのギターリスト、Nokie Edwards が複雑な音階を非常に早いテンポで演奏していた。
ぼくはそのフレーズがとても気に入っていたが、あまりに複雑なので、
今一歩のところで完璧な耳コピーが出来ないでいた。
ところが、広瀬はいとも簡単にぼくが疑問に思っていたフレーズを
楽譜にしてくれてすごく助かったもんだった。
この話には後日談があり、その1年後、たまたまぼくがNokie と競演した際、
そのフレーズを一緒に弾いたら彼は笑いながら
「よくも私のミスタッチまでコピーしたな!」って驚いていた。
広瀬は微妙なNokie のミスタッチまで音を拾っていたのだ!
彼女はぼくが尊敬するChet Atkins の複雑な和音やギャロッピングも、
すべて耳コピーをして楽譜にしてくれたので、非常に便利な存在であった。
アレンジばかりか、そんな事も含め、彼女との音楽制作はぼくにとっても、
非常に有意義であり、ぼく自身の音楽能力を著しく向上させてくれた。
さて、そんな生活が1年くらい続き、かなり作品も整ったので、
いよいよ彼女を日本の音楽業界に連れて行く時期が訪れる。
当然、LAにおいても、某米国のレコード会社や、JVC USA 等と下話をしてあり、
彼女を華々しく登場させる作戦を考えていたのだ。
ぼくは、自信に満ち溢れていた。
彼女のデビューを日本のレコード会社にお願いするなんて気持ちは
さらさらなく、むしろ、「この逸材を日本の音楽業界、レコード会社に紹介し、
チャンスを提供してあげるから、有り難く思いなさい」
それくらいの意気込みであった。
加えて、実際彼女はぼくがそう思うに到るだけの能力は
充分過ぎるくらい持っていたのである。
ぼくはわくわくしていた。
多分、堕落の一途を辿る日本の音楽業界に、
旋風を巻き起こしてやるくらいの事を考えていたと思う。
ところがである。
往々にしていつの時代も物事とは、なかなか自分の思い描くようには
行かないもので、想像もしていなかった問題が
東京でぼくたちを待ち受けていようとは、知るよしもなかった。
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